TPP反対をパフォーマンスで終わらせてはならない

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東京大学 鈴木宣弘

日本のTPP交渉参加の既成事実化が止まらない

野田総理は、10月29日の所信表明演説で、TPP(環太平洋連携協定)と、日中韓FTA(自由貿易協定)、ASEAN+6(日中韓、インド、豪州、ニュージーランド)のASEAN地域包括的経済連携(RCEP)などを同時並行的に進めると述べ、安部総裁の質問に対しても同じ回答をした。この時点での、この発言は重大である。

11月18、19日に開催される東アジアサミットにおいて、日中韓FTAとRCEPは交渉開始宣言されることが、すでに予定されているから、その場で、TPPについても、米国からの参加承認が同時に得られるかはさておいて、少なくとも、日本の踏み込んだ再度の「決意表明」をする意思表示を固めようとしているとみるのが妥当である。

米国抜きのアジア経済連携への米国の不満高まる

日中韓やRCEPの交渉開始が近づく中で、米国を抜きにしたアジアの経済連携の具体化に対する米国の不満は大きいから、中国やASEANに対抗して、米国主導のブロックでアジアの連携を攪乱し、将来的には米国主導のブロックがアジアを席巻するための最前線として、日本のTPP参加への米国からの圧力も強まっていることは容易に推察される。それは、10月18日に、カトラー米国通商代表部代表補が来日し、日本のTPP担当の主要メンバーと長時間の会談を行ったことからもわかる。

国民も議員も愚弄したまま、発表のタイミングを探っている

しかし、相変わらず、政府(内閣府、外務省、経済産業省など)は「カトラー氏とは表敬訪問で会食しただけ」と平気で答え、何も具体的内容はなかったと話す。議員会館で国会議員が何十人も集まって「説明せよ」と詰め寄っても、ぜったいに何も話さない。

米国から突きつけられている日本のTPP交渉参加の「頭金」の御三家(自動車、郵政、BSE)についても、BSE(狂牛病)についての「科学的根拠に基づく緩和でTPPとは関係ない」という見え透いたウソに象徴されるように、「日本のTPP参加と自動車、郵政、BSEなどの問題は何ら関係がない」と平気で言い続け、水面下では「頭金」の支払い水準を着々と詰めている。国会議員が何十人も集まって「説明せよ」と詰め寄っても、その内容は一切話さない。こんな押し問答を何十回も繰り返している。

国民はもとより、その民意を代表している国会議員もここまで愚弄し、TPPという前代未聞の協定への日本の参加のお膳立てを勝手に進めている。そして、総理の所信表明のように、それを既成事実化するような発言が出て、いよいよタイミングの問題だけとなっていく。政府の幹部からも、「タイミングを探っている」という発言が出るようになり、要するに、「参加は決まっていて、いつアナウンスするかだけ」という主旨が透けて見える。結局、誰も止められないまま、こんなことが許されている。

「日中韓もRCEPもTPPも同時に進める」は論理破綻

政府がいう「日中韓もRCEPもTPPも同時に進めればよい」というのは論理が破綻している。ひとたび、すべてを撤廃するTPPに乗れば、他の柔軟な協定ができなくなってしまう。RCEPにはオセアニア諸国(豪州、ニュージーランド)も含まれてはいるが、アジア諸国の主導で、TPPとはまったく違った柔軟で互恵的なルールを交渉できる可能性はある。しかし、TPPも同時に進めることになったら、豪州に対して、日本はTPPではすべて関税撤廃すると約束することになるが、その一方で、RCEPでは、同じ豪州に対して、多くの例外を認めてもらう交渉をするということは両立し得ない。

ASEANは昨年11月に「TPPが仮にもアジアに影響することになったら、アジアの将来はない。アジアに適した柔軟で互恵的なルールはASEANが提案する」と表明した。世界の均衡ある発展につながる経済連携を日本もリードして進め、世界で疑問視されつつある「規制緩和さえすればうまくいく」という流れを無理に進めようとする「本質的に筋の悪い」TPPを止めなくては、世界の将来に大きな禍根を残す。もちろん、後で米国が柔軟で互恵的な経済連携に入りたいと言うなら、それは拒む必要はない。

TPP反対は「アリバイづくり」ではない

しかし、国民無視のTPP参加に向けての暴走は止まらない。多くの国民が、そして、たくさんの良識ある国会議員のみなさんが覚悟を持ってTPP阻止のために取り組んでおられる。しかし、国会議員のみなさんが何十回、会議で追及しても、政府からは何も回答はなかった。情報は隠すもので、出す内容はごまかすことしか考えていない人達に、「情報を出せ、ウソをつくな」と言ってもやはり無駄である。そして、裏交渉は煮詰まりつつある。ならば、さらなる覚悟をもって、こんな国民無視の勝手な暴走を一日も早く止めなくてはならないが、それだけの覚悟が国会議員のみなさんにも本当にあるのだろうか。誰にとっても、この問題は、「頑張ったけどだめでした」では、せっかくの努力もパフォーマンスとアリバイづくりで終わってしまうことを肝に銘じて、国民一人一人の生活を守るため、日本のため、アジアのため、世界の将来のために、踏ん張るときであろう。